columnコラム

コロナ禍とバーンアウト その2

2023/05/12

新型コロナウイルス感染症5類感染症への移行

こんにちは、札幌カウンセリングオフィス雪花(札幌市琴似、北区、東区、西区、白石区と、その他の区)の菅原奈緒(臨床心理士・公認心理師)です。

2023年5月8日から【新型コロナウイルス感染症法上の位置づけが5類感染症になりました
感染症法は正式には【感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律】です。
それ以前にあった伝染病法が小渕内閣のもとで廃止され、1999年に代わって制定されました。
附則を引用します。

人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願といえるものである。

医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。


一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等に感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。


このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ的確に対応することが求められている。


ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の転換の推進を図るため、この法律を制定する。

感染症法の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年10月2日法律第114号)

新型コロナウイルス感染症が法律上の位置づけが「2類から5類に移行した」ことと、【世界保健機構(WHO)が新型コロナウイルス感染症に関する「国際的な公衆衛生上の緊急事態」の終了の表明】をしたのはほぼ同時期でした。

報道での扱いや感染症対策の緩和などにより、コロナ禍以前の日常が戻ったように感じられる方がおられても無理のないことだと私は考えています。
この数年は世界中の人々は、先の見えない恐怖と不安にさらされ、不便や制限のある生活を送ってきました。経済的な基盤が崩れることになった方も少なからずおられるはずです。そんなつらい苦しい日々が終わることを望むことは、まったくおかしくありません。

しかし、新型コロナウィルス感染症はあくまでも法律上の扱いが5類に移行し、「国際的な公衆衛生上の緊急事態」が終了したのであって、コロナ禍が終息したわけではありません。
引用にもあるように人類に脅威を与える力のある感染症なのです。

これから医療従事者がどのような状況に置かれるか

前回のコラムでわたしは、コロナ禍における医療従事者の大量離職を危惧し心身の不調を心配していると述べました(これは実は医療従事者に限らず対人援助職全般にいえることなのではないか、と考えてもいますが、それぞれが働く領域によって状況が異なるので、ひとくくりにはしないことにしています。医療従事者以外の対人援助職のコロナ禍における負担が少ないと考えているわけではありません)。

では5類に移行したことでどうなるか。医療従事者の負担は軽減され、私が危惧し心配していたようなことは起こりにくくなるのでしょうか?
例えば、これまではPCR検査は公費負担だったので、検査が必要な時は無料で受けることができました。
それにより「入院前PCR検査」を行いやすく、病棟でのクラスター発生の確率を下げることができていたはずです。

しかし、5類に移行して公費負担がなくなったことで入院前PCR検査を終了する病院も出てきています。コロナ禍における医療従事者の負担が今後どうなっていくかは、こういった変化の一つ一つが現場の業務にどのように影響するかによって変わっていくと考えられます。

バーンアウトについて②

私は前職についていたころ出勤中にたまにこんなことを思い浮かべていました。
「さあ、今日も人類最後の砦に出勤しますか」
特別に高い理想や、志を抱いてのことではなく、現実に病院とはそういう場であると認識していたのです。それでも胸のうちでその言葉をつぶやくときは、身が引きしまったものでした。
コロナ禍ではこれが、より過酷な現実となったのです。私は「世界中の砦よどうか落ちないでくれ」と祈りさえしました。

バーンアウトの概念を提唱したフロイデンベルガーはその著書の中で、高い理想をもって仕事に取り組んだ人たちが、慢性的にストレスフルな状況におかれ、疲労が積み重なり、それでも満足のいく結果を得ようと、設定した高い目標にあきらめず取り組むものの、燃え尽き破局してしまった事例をいくつか紹介しています。
『人生の理想をもたない人間は、この病気にかかることはない。』とフロイデンベルガーは述べています。
コロナ禍以降、どれほどの医療従事者がその理想を打ち砕かれる事態に直面したのだろうかと、私は思うことがあります。その人たちは、人類最後の砦の守り人たらんと必死だったのではないかと。

バーンアウトという概念の始まりは1970年代でした。現象としてのバーンアウトが関心を持たれるようになったその時代、社会では個人主義に向かう傾向が強まっていたと、バーンアウトの研究者の多くが述べています。
親族や友人などの身近で親しい人たちとの関係が希薄になり、共同体の中での明確な役割が失われ自らの存在意義があいまいになり、そこから得られるサポートも減っていきました。
それによりサポートを行う専門家が必要となります。ヒューマンサービス従事者、対人援助職です。

半世紀前のアメリカにおいて、ヒューマンサービスの需要は増大しましたが、現場は対応しきれませんでした。対応するための人的な資源が不足していたのです(どこかで聞いたような話だと思います。その1で述べたように、現代日本の医療現場でも人とモノのリソース不足の問題は深刻です。コロナ禍でも例外ではないでしょう)。

上述のような社会背景があって、フロイデンベルガーは無償で勤務していたクリニックで、高い理想をもった多くの同僚たちが1年ほどの間にエネルギーを失うように、自らの仕事に対する意欲や関心を失っていく様を目の当たりにしました。

不幸なことに、社会奉仕の仕事には失敗や落胆がつきものである。医師と看護師は、苦しむ患者を救うことができない。ソーシャル・ワーカーは、増大する貧困と無気力にたちむかわなければならない。援助の手をさしのべても、人々は壁の中に閉じこもってその手を拒絶する。ついには、奉仕者自らも失意がこうじて、心を閉ざすことになる。

会社と上司のせいで 燃え尽きない10の方法 ハーバート・フロイデンバーガー 

ブロイデンベルガー自身もバーンアウトになった経験があったそうです。いったいどれほど過酷な現実に立ち向かってそうなってしまったのでしょうか。
そして、引用した文章の多くが、現代のコロナ禍にもあてはまると私は思います。新型コロナウィルス感染症で多くの人たちが命を落としました。経済的な基盤を失った人たちは少なくありません。感染対策が助けとなることを懸命に伝えても、理解されないことも少なくありません。
当事者でなかったとしても、それを年単位で目の当たりにしてきた人たちが受けるダメージは、底知れないものがあるのではないでしょうか(しかもそれは終わってはいません)。

法律上の扱いが2類から5類になったことで、果たしてその負担は軽減されるものなのでしょうか?

参考文献 引用文献

  • 久保真人 バーンアウト(燃え尽き症候群)―ヒューマンサービス職のストレス 日本労働研究雑誌 特集 仕事の中の幸福 No.558/January 2007
  • フロイデンバーガー,ハーバート著 川勝久 訳Best of business会社と上司のせいで燃え尽きない10の方法―「バリバリな人」ほど失いやすい生き方のバランス 日経BPM(日本経済新聞出版本部)2014
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