columnコラム

北の暮らし その3 琴似と二十四軒

2023/06/17

札幌カウンセリングオフィス雪花の施設と所在地

こんにちは、札幌カウンセリングオフィス雪花(札幌市琴似、北区、東区、西区、白石区と、その他の区)の菅原奈緒(臨床心理士・公認心理師)です。

雪花は開所前からTwitterアカウントを運営しています(主に開所日と閉所日などの事務的なお知らせをするためのもので、Twitterでの相談は受け付けておりません)。

そのTwitterで、雪花の所在地についてのお知らせをしたことがありました。
雪花には専用の駐車場がございませんので、公共の交通機関や、少し離れたところにある優良駐車場などをご利用される方が多いものと思われます。しぜん、徒歩での来所になることでしょう。わかりやすい道案内となればと考えてでした。

今回は、シリーズ北のくらし第三弾として、そのtweetを発展させて、雪花のある西区二十四軒とその隣にある琴似ついて紹介したいと思います。
雪花の所在地は二十四軒なのですが、施設のある建物は『ビブレ琴似』です。二十四軒の中でも琴似よりに位置しており、最寄りの地下鉄駅は徒歩5分の琴似駅です。

ですので、二十四軒と琴似と、両方をとりあげることにしました。

札幌市西区の始まりについて

琴似と二十四軒のある札幌市西区は、札幌市の中でも古い歴史がある区です。中心である琴似に、明治のはじめに北海道で最初の屯田兵198戸が入植しています。屯田兵は防衛と兵役に従事しながら、入植した土地の開墾を行うのが役割でした。屯田兵の名は、札幌にお住まいの方は耳にされたことがおありでしょう。

屯田兵が最初に入植したのは明治8年(1875年)でしたが、実はそれより前に現在の西区に入植していた人たちがいたのです。その歴史が『二十四軒』という地名として残っています。

当時、明治政府は北海道開拓を急いでいましたが、極端な財政難でもありました。そこで廃仏毀釈の動きによって力を失うことを恐れた寺院の中でも、東本願寺に北海道の開拓を命じたといわれています。
国道230号線の前進となった、現在の伊達市からはじまり中山峠を通過して札幌市平岸にまでいたる本願寺街道(本願寺道路などとも呼ばれる)は、まさに東本願寺が資金を集めて作られたものでした。

また『東本願寺移民』と呼ばれる人たちがおり『二十四軒』『八軒』などは、この東本願寺がかかわる移民の戸数であると長い間言われてきました。今でもこの説が紹介されていることがあります。
しかし、現在は東本願寺周辺の『辛未一ノ村(しんみいちのむら)』に、入植するはずだった人たちが、開拓使の計画の都合でそこに入れなくなり、当時の『琴似村』に急遽移ることとなった、という説が紹介されることが多いようです。

この『辛未一ノ村』に入植するはずだった人たちは琴似の3か所へ、8戸、12戸、24戸ずつに分かれます。それぞれが『八軒』『十二軒』『二十四軒』の地名の由来となりました。この中で『十二軒』は地名としては消滅しています。

以上のような経緯があって、先に琴似村に入植した『八軒』『十二軒』『二十四軒』などの移民と、その4年後にやってきた屯田兵とその家族とが、開拓を行っていったのです。

雪花から歩いて8分ほどの場所に、琴似屯田兵屋(ことにとんでんへいおく)の最後の一つである『琴似屯田兵屋跡』があります。イオン札幌琴似店のすぐそばです。

札幌市の誕生

明治2年(1869年)に北海道に開拓使が設置され、札幌はその本府となりました。札幌本府の洋風の建物を建てる際に使用されたのが札幌軟石です。
札幌軟石についてはまた別の機会に詳しくとりあげますが、簡単に説明します。4万年前に支笏湖を形成した火山の活動の際に、大規模な火砕流が発生しました。この火砕流の噴出物が冷えて固まり、支笏溶結凝灰岩となりました。これが札幌軟石です。

画像は、札幌軟石製のアロマストーンです。軽く保温性にすぐれ、加工しやすいために建築物としてよく使われるようになります。
現在は札幌軟石製の建築物はその多くが失われていますが、小樽運河倉庫群や、札幌市資料館などが現存しています。

大正11年(1922年)に市制が施行されたことで札幌市が誕生します。それ以来、近隣の町村との合併と編入を繰り返し拡大していきます。
1972年(昭和47年)には日本最北の政令指定都市となり、同年のオリンピック開催に伴って、地下鉄や道路網などのインフラが整備されました。

区制施行と地下鉄東西線の開通

1972年には、札幌市にとってまだ大きな出来事がありました。区制の施行です。これは政令指定都市への移行と同じ4月のことです。この時は、中央区、北区、東区、白石区、豊平区、南区、西区の7つの区でスタートしています。
厚別区、手稲区、清田区が誕生して現在の10区となるのは、また後のことです。
雪花のある札幌市西区が誕生して、去年でちょうど50年だったことになります。

オリンピックをきっかけに開通した地下鉄は、札幌市の発展に伴い路線を拡充していきます。1976年(昭和51年)には、東西線が開通しました。この時の区間は琴似~白石です。雪花の最寄り駅である、地下鉄琴駅と二十四軒駅はこの時からあったわけです。
4年後の1980年には延長区間である白石~新さっぽろも開通しました。

琴似二十四軒地区の現在

琴似二十四軒地区のある西区は、1989年(平成元年)に分区して手稲区と新たな西区となりました。その10年後には東西線延長部である琴似~宮の沢間が開通し、JR琴似駅周辺も整備されています。
公共施設と商業施設がともに充実した、札幌における西の拠点といえるでしょう。

雪花を開くのにこの土地を選んだのは、その利便性の高さからでした。札幌市内からだけでなく、JRを利用して、小樽や空知から足をお運びしていただくこともできるのではないかと考えました。

また、古くから続くものと、新しいものとが混在しているこの土地に、ひかれてやまなかったこともあります。琴似二十四軒地区に、雪花も仲間入りをさせていただき、ともに発展していくことができればと、そう思っています。


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