columnコラム
#対人援助職 #職場
NPO法人コミュネット楽創 2022年度事業・支援報告会に参加して その2
2023/12/23
当日、会場へ
2023年7月1日土曜日、この日は雪花を午後から閉所にしました。そして、午前の業務を終えた、少しの緊張とわくわくする感じとを抱いて琴似から札幌駅に向かいました。
前職にいた頃から、コミュネット楽創が事業・支援報告会を開催していたのは存じ上げていました。が、実際に足を運ぶのは初めてだったからです。
『興味をお持ちの方はどなたでもご参加いただけます』と案内にあるように、どのような立場の人でも参加できる報告会。もしかしたら、前職で支援する立場としてかかわった方もお越しかもしれない。 そんな思いで会場を訪れました。
時間に余裕を持って会場入りしましたが、既に満員御礼。立ち見も出そうな勢いです。ですから、素直に「すごいな」そう思いました。今年もつらく悲しいニュースが多かったですが、私はその時その場に人が集まるときの賑わいと、そこから感じられる明るさをみたのです。
事業・支援報告の内容
報告の内容は次の通りでした。
- 理事長挨拶 コミュネット楽創 理事長 山本創さん
- 支援報告 コンポステラ
- 支援報告 就業・生活相談室からびな
- 事業報告 就労支援委員会
- 支援報告 ホワイトストーン
- 全体質疑応答・意見交換
- IPPO賞受賞記念講演『変わったこと、そして変わらないこと・・・25周年を迎えて』
どれも大変興味深い内容で、一つ一つについて詳細に報告したいものばかりでした。
ですが、それをするとこのコラムが『その10』までいってしまいます。
かわりに、報告内容のリストからリンクを貼りました。リンク先のサイトや動画をみると、コミュネット楽創について知ることができます。
当日は、支援実績とその意義・実際の就労支援の例について、事業報告では支援をよりよいものにするための研究や調査について、それぞれ報告されました。
内容、質疑応答ともに、個人の情報を保護するためもあり、具体的に報告することは差し控えます。が、特に印象に残ったのは、職員の全員が障がい者の虐待防止についての研修を受けているというお話でした。
当たり前のようで、実際にそれを欠かさず行っている医療や福祉の組織がどれほどあるだろうか?私はそう思いました。
参加しての感想~屋上からの虹~
ここで、唐突ですが、私が前職にいた頃にあったことで、忘れられないことの話をさせてください。わたしはそのとき、デイケアにいました。デイケアでは、プログラムといって、その時間のテーマや課題のようなものが決まっていることがあります。スタッフが運営し通所しているメンバーさんが参加します。
そのプログラム中に虹が出ているのを、私は見つけました。雨上がりの、雲の切れ目から差し込む日差し。私はその場にいる人たちに、虹が見えることを報せました。
そしてその場には、その虹を見たければ手を止めてよい。また、見たいと思わなければそのまま作業の手を止めずにいてよい。そんな、選択のできる余地がありました。なんなら、屋上に行くことだってできたかもしれません。
私はそのときそこにいながら、病棟に入院している人たちのことを思っていました。
「上にいる人たちは、虹がきれいだよ!という声をきいても、屋上に行くか行かないかを選ぶことができない。それはどうしてなのだろうか」
もちろんそこにはちゃんとした理由があります。それは入院中で、身の安全を守ることが必要な状態の方もおられるからです。一人ひとりの要望を確認し、対応できるだけの十分な人手が、この国の精神科医療には不足しているからです。
それでも、わたしは、いまも、その時のことを忘れることはできません。
私は、病棟の方も含め、みんなと一緒に、屋上で自由に虹をみたかったのです。もちろん、そこには、そうしない、そうしたくない人もいる。そんな世界がいいんだけどなあと、そう思っていたのです。
2023年7月1日の報告会。わたしはそこにいて、屋上の虹のことを思い出していました。
一人ひとりに対しての支援や組織として行う事業が、その対象となる方の人生をよりよいものにしていく。誰かの手をとって、助けられながら、自分の力で人生を切り開いていく。
その積み重ねが、社会を変えていくこと、それを信じている人たちが、そこに集まっていたからではないかと思います。
コミュネット楽創は、それが障がい者福祉・就労支援を通じて行われるところなのではないかと。
『信じること』は、ゆきすぎると時に盲信につながることもあります。理事長である山本創さんの報告会の終わりごろのお話は、その怖さにも触れていたように感じられました。
わたしは、屋上の虹をみたいと願ったことを忘れないでいたいです。ですが、人にはそれぞれ異なる願いがあります。その人にとっての屋上の虹がどういったものであるのか、それを大切にしたいと、参加して考えたのでした。