columnコラム

「札幌カウンセリングオフィス雪花」名称の由来

2023/02/26

雪花とは

 はじめまして、札幌カウンセリングオフィス雪花、代表心理士の菅原奈緒です。ご挨拶に変えて、「雪花」を説明したいと思います。

 雪花(せっか)とは、雪を花にたとえた言葉です。わたしは北海道に生まれ育ちました。雪は毎年冬になると当たり前にあるものです。道外の方も「北海道と言えば冬の雪」というイメージを抱かれる方は多いのではないでしょうか。ただ北海道はとても広いので気候も土地によって違います。太平洋沿岸の地域は降雪量や積雪量が本州で雪が降る地域より少ないこともあるのです。この北海道内の気候の地域差についてはまた別の機会に、詳しくお話できればと思います。

札幌の雪

 雪花のある札幌では、初雪が10月下旬に観測される年もありますが、だいたい11月に積雪がはじまり12月に根雪となります。積雪とは地面に積もった雪、根雪とは春まで消えずに地面を覆う雪のことを言います。他に降雪という言葉もありまして、これはそのまま雪が降ることをいいます。降雪量というのは簡単にいいますと一定の時間内にどれほど雪が積もったか、積雪量はある時点の積雪の深さをいいます。高さといいかえるとイメージしやすいでしょうか。

 札幌の場合1~2月が降雪量、2~3月が積雪量のピークとなることが多いです。例年降雪量が多い時期は、JRが運休になることやバスが遅れるなど公共交通機関の運行に支障をきたす、交通渋滞が起きることもあります。全くストレスを感じない訳ではありませんが、雪の多い北国の住民にはそんな不便さも冬の日常です。それをしのいで雪解けの春を待つのがいつものことなのです。

 ですが、そんな北国の人間でもさすがに参ってしまうほどの雪が降ることがあります。例えば2022年2月6日に札幌市中央区で24時間の降雪量が60㎝に達し、1999年の統計開始以来の記録を更新したことは、札幌のみなさんは記憶に新しいと思います。私の住んでいる建物も、当時の職場も雪に取り囲まれました。何とか出勤はしましたが、JRの列車が停車してある場所から動けず立往生して札幌駅発着の普通列車と特急列車がすべて運休となったというニュースや家の周りで車が立ち往生していたなどの話題で、職場は持ちきりでした。

 翌日7日も全面運休というのは明らかに異常事態で、結局、全面復旧したのは2月の14日、その間、道路も除雪が追いつかないことでひどい交通渋滞が市内のあちこちで発生していたのです。雪のある暮らしには慣れている札幌市民も、ここまで日常生活が大きく障害されると、さすがにひどい疲れを感じていたのではないかと思います。雪かきをしないといけない住環境の方は、なおのことだったでしょう。

 この年の積雪量は8年ぶりに130㎝を超えました。だいたい小学校低学年の子どもの身長ほどの雪が積もったのです。ここまでいくと雪堆積場という排雪した雪を捨てる場所も足りなくなります。例年よりも多い量の雪を受け入れたにも関わらず、雪の終わりを待たずに2月末には市内のあちこちの雪堆積場が満杯になりました。

 もともと札幌市では、除雪業者の高齢化による人員不足や徐排雪して雪堆積場に運搬するためのトラックの不足などの雪対策の問題点が指摘されていました。人員不足には除雪のやり方を変えるなどの試行錯誤に市は取り組んでおり、トラックの不足には他の自治体からトラックを借りるなどしていました。ところが、この年は全道で大雪となったために、トラックを借りることができなくなってしまいましたし、除雪のやり方を変えることについては、大雪の時のやり方を新たに検討しないといけなくなったのです。

雪は資源にもなる

 一方で雪は、貴重な資源でもあります。2020年には温暖化の影響による積雪量の不足が問題となりました。例年、1月末の札幌市の積雪量はだいたい100㎝ほどですが、この年は30㎝に満たなかったのです。観光においては、スキー場のオープンが例年より遅れた上に新型コロナウィルスの影響で利用客が大幅に減少しその経営に大きなダメージを与えましたし、雪まつりのようなイベントは開催が危ぶまれました。雪が資源となるのは、冬が終わってからの日常生活でもです。梅雨のない北海道で水不足が起こらないのは、ダムで水を確保しているからだけでなく、多量の雪が夏近くまで融雪水や涵養水として蓄えられているからなのです。

 カウンセリングオフィスに「雪花」という冷たいイメージを持たれてしまうかもしれない「雪」の名をつけたのは、長い人生には厳しい時もあれば、その時期を越えたからこそ気づけることや得られるものがあり、もともと自分に備わっていた力をいかしていけるようになる、けれど一人きりでは厳しさにつぶされてしまうこともあるかもしれない、そんな冬のような時期をしのぎ、生き延び、その先を見るための支えとなる場にしていきたい、ひとつには、そんな思いからでした。

雪の結晶

 もう一つは、降り積もる雪だけでなく、水が氷の結晶となってできた雪への思い入れからです。「雪の結晶は一つとして同じ形のものはない」と言われています。子どもの頃それを本で読んで知った私は、本にあった観察法を試そうと黒いフェルトと虫眼鏡を用意し、寒い日に空から降る雪をフェルト地で受け止め、息で雪を溶かさないように注意しながら、虫眼鏡を通して結晶をじっと見つめました。「基本は六角形だが同じ形のものはない」と、本にあった通りであると確かめられたことと、自然が生み出す結晶の美しさに強い喜びを覚えました。

 そこからまた成長し、幼い頃よりも自分の周囲の人たちとそれを取り巻く世界に目を向けるようになった私は「どうして同じ人間であるのに、これほどまでに人は一人ひとりみな違うのか」という疑問を抱くようになり、やがて心理学を学ぶことを志しました。

 そして毎年冬がくると、空から落ちてくる結晶を見上げ、無数に思える雪には一つとして同じ形がないことを思い出し「今この瞬間に降ってくる雪との出会いは、たった一度きりの儚いものだ。人との出会いもそれに似ている。」ということを、ふと考えることがありました。

 世界で初めて人工の雪を作ることに成功した物理学者で随筆家の中谷宇吉郎(なかやうきちろう)氏の「雪」という作品が青空文庫に収録されているのですが、ここでその一文を引用します。

「即ち六花状の美しい形の雪というのは、天然に降る雪のほんの一部をなしているのに過ぎないので、色々雑多な形の雪が本当は沢山に降っているということがよく分るのである。」

 中谷宇吉郎は、雪の結晶について観察する際につい整った形のものに目がゆきがちであり、それによって一般の人には美しい形の結晶が一般的な雪であると思われやすいと「雪」で述べています。仕事の都合で札幌に住むことになった彼は、億劫がらずに雪そのものを見ることから取り組み始めます。毎冬、雪の結晶の写真を彼はとりました。

 そして「特に注意して、なるべく天然に見られる全種類の雪の結晶を網羅するように務め、とかく陥りやすい弊風、即ち綺麗な写真に撮って美的価値が多い結晶のみに重点を置くことがないように注意を払ったつもりである。(中略)雪の結晶は極めて種類が多く、従来雪の代表の如くに思われていた六花状の結晶は、実際に降る雪の全量の中ではほんの一部に過ぎないことが分った。」

と、述べています。

 雪の結晶がそれぞれに異なる形であることが誰かから咎められることはありませんし、自分を責めたりすることはないでしょう。しかし、人間の世界ではなかなかそうはいきません。人と自分を比べてその違いにつらさや苦しさを覚えたり、人と同じようになれないことやできないことで自分を責めたりしたことはないでしょうか?自然は厳しいものですが、人間世界ではなかなか実現しないことがすでにそこに当たり前にあることを、教えてくれることがあるように思います。

 長年勤めた職場を離れ、独立してカウンセリングオフィスを開こうと決めたとき、私は、人が一人一人違うかけがえのない存在であることが、尊重される場になるようにと思いました。それを忘れないために、雪という言葉をオフィスの名前に使うことにしたのです。

 まだ始まったばかりのオフィスですが、悩み苦しむ、この世界にたった一人の方が、人生の厳しい季節を生き延びていくための一助となるよう、これから歩んでいきたいと思います。

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