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北の暮らし その4 札幌軟石のあるところ
2023/07/25
札幌軟石とは
こんにちは、札幌カウンセリングオフィス雪花(札幌市琴似、北区、東区、西区、白石区と、その他の区)の菅原奈緒(臨床心理士・公認心理師)です。
シリーズ『北の暮らし』その4では、その3『琴似と二十四軒』でもふれた札幌軟石について書きたいと思います。
明治2年(1869年)に北海道に開拓使が設置され、札幌はその本府となりました。札幌本府の洋風の建物を建てる際に使用されたのが札幌軟石です。
札幌軟石についてはまた別の機会に詳しくとりあげますが、簡単に説明します。4万年前に支笏湖を形成した火山の活動の際に、大規模な火砕流が発生しました。この火砕流の噴出物が冷えて固まり、支笏溶結凝灰岩となりました。これが札幌軟石です。画像は、札幌軟石製のアロマストーンです。軽く保温性にすぐれ、加工しやすいために建築物としてよく使われるようになります。
現在は札幌軟石製の建築物はその多くが失われていますが、小樽運河倉庫群や、札幌市資料館などが現存しています。大正11年(1922年)に市制が施行されたことで札幌市が誕生します。それ以来、近隣の町村との合併と編入を繰り返し拡大していきます。
札幌カウンセリングオフィス雪花 コラム 北の暮らし その3 琴似と二十四軒
1972年(昭和47年)には日本最北の政令指定都市となり、同年のオリンピック開催に伴って、地下鉄や道路網などのインフラが整備されました。
引用の通り、札幌軟石は溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)です。凝=固まる、灰=火山灰なので、凝灰岩は火山灰が固まってできた岩石のことです。さらに、溶結=溶けてお互いに固まることです。火山が噴火すると、熱い状態の火山灰が一度に大量に降り積もることがあります。そうすると、自重で火山灰が伸びて、溶けてお互いに溶結し、硬い岩石になるのです。
石ですが比較的柔らかいため軟石と呼ばれ、札幌市内では滝野から石山にかけて分布しています。これを運搬するため、軟石を切り出していた石山から現在の南2条西11丁目付近まで、1909年(明治42年)に馬車鉄道が敷設されました。これが現在の国道230号線、通称『石山通』のもとになっています。札幌軟石をはじめ、硬石の石材も多く運ばれました。
切り出された札幌軟石はこれまた引用の通り、建築物に多用されました。数は少ないですが、現存するものもあります。『札幌軟石ネットワーク』では、札幌軟石について様々な情報が掲載されており、どこにいくと札幌軟石にふれられるかも調べることができます。
こんなところにも札幌軟石が
札幌とその近郊にお住まいの方にはおなじみの円山公園にも、札幌軟石があるのをご存じでしょうか。そして、札幌軟石の話とはまた別に、実は円山公園には地質観察のポイントがあります。わたしも札幌軟石について調べるまでは全く知りませんでした。
円山公園には手軽に登山を楽しめる『円山』があります。円山はマグマが冷えてできた火山です。といっても、百万年以上前の火山なので、活動の心配はないそうなのですが。
円山がかつて火山だったことを示すのは、山頂が柱状節理(岩体に節理が発達して、柱を束ねたようになっているもの)の発達する安山岩(マグマが急激に冷えて固まった岩石)の岩場となっていることです(ほかにもありますがまた別の機会に)。
札幌軟石の話に戻りましょう。円山には2つの登山道があります。そのうち、わたしは大師堂コース(円山八十八ヶ所)を登ったことがあります。
この登山道にはたくさんの観音像が安置されています。観音像のほとんどは、札幌軟石で作られたものと、安山岩で作られたものなのだそうです。
札幌軟石の像は表面がきれいに削られ白い軽石が点々と入っているのが見え、安山岩のものは表面がざらざらしており、見分けはしやすいそうですが、まったく気づかないまま登山をしていました。
見て触れて知ったつもりになったものについて、こんな風に知らないことがたくさんあるのだろうなあと、そんなことを思いました。